現代社会では、老齢を迎えた人の多くが病院で息を引き取ります。臨終後病院では看護師が故人の体を清めてくれます。その処置が終わったら、基本的には病院の霊安室で、自宅や斎場への搬送を待つことになります。しかし、病院によっては、霊安室がなかったり、数が少なかったりする場合があるので注意が必要になります。
事前に依頼する葬儀社が決まっている場合は、そこに連絡をしますが、決まっていない場合、病院から葬儀社を案内されることも少なくありません。気をつけておきたいのは、搬送だけをたのんだはずなのに、お葬式まで案内された業者で行うことになってしまったということが多くあるということです。
もちろんそれで良い場合もあります。しかし現在主流になってきている小規模な葬儀を依頼するのは難しいかもしれません。希望するお葬式の形態がある場合には、つらいことではありますが、事前にある程度調べておいて、納得できる業者とプラン等を選ぶようにしたほうが良いでしょう。
葬儀に対しては、漠然とした固定観念を無意識に持ってしまっている人が多くいます。そのためいざ執り行うとなると、感情や気持ちがおきざりにされ、形式ばかりにとらわれがちとなってしまいます。高齢化社会や病院での旅立ちなどによって、人が亡くなることが身近ではなくなっている時代においては、皆が元気である間にお葬式のことやその後に訪れる悲しみについて、考える機会があまりないのかもしれません。
だからこそお葬式は大変な儀式であるのでしょう。親しい人が亡くなると、怒りや悲しみなど矛盾する感情が押し寄せてきます。その結果、感情が配慮されないお葬式は、遺族にとって更なる負担となり、別れをよりつらいものとさせてしまいます。
慣習やしきたりが重んじられる傾向が強くありますが、お別れに際して需要なのは、遺族の故人に対する気持ちや感情に他なりません。遺族がどのような葬儀を望んでいるかを察する必要があるのかもしれません。
人が亡くなるということは、日常的な出来事ではありません。そして旅立ちの際に行われる葬儀は、ただ単に儀礼的なわけではなく、流れ作業的なものでもありません。葬儀は故人との別れを認識する場だということができます。
お葬式の形態は選択の幅が広がってきており、故人や遺族の気持ちが反映されやすい環境が整いつつあります。都市部では、小規模な形式を選ぶ人が多くなっています。小規模な葬儀を希望する場合、誰に参列してもらうかを決めるのは需要な作業となるでしょう。
家族以外の友人や知人の中から、故人の人間関係などをたよって、親交が深かった人に案内を出します。呼ばなくてはならない人という義務的な観点から人を選ぶと、小規模でなくなってしまったり、遺族の意志が反映されにくくなってしまいます。
そのため、お別れをしてほしい人を基準にして、参列者を選んだ方が良いようです。